制服・伝統行事・パイプオルガン

セーラー服

中学校・高等学校の制服

制定当時の制服と制帽
福岡女学院では、1914(大正3)年に制服は和装・袴に統一されていましたが、学校生活が活動的になってくるにつけ、保護者から着物にはかまでは、体操や運動にも不便であり、経費がかかるという声があがり、学校で着物・袴に代わる服装を考案することなになりました。大正時代は、第2の欧化主義の時代で、日本人の風俗も女性の髪型をはじめ、女学生の服装なども変わってきていました。

就任間もないエリザベス・リー校長が自ら調査委員長になり、欧米各国の女学生の服装を参考に研究すること1年余り。結果、一番好評だったのは、リー校長自身が着用していたセーラー服でした。このセーラー服をモデルにすることが決定し、1917(大正6)年、リー校長は福岡一の腕前を持つテーラー太田豊吉に依頼し、セーラー服作りに着手します。8回もの試作を経て、ようやく満足のいくものが出来上がったのは、1921(大正10)年12月のことでした。これが紺サージ長袖の冬の制服です。

胸のいかりのマークは、「風いとはげしく波立闇夜も、みもとにいかりをおろして安らわん」(『讃美歌1954年版』280番)という信仰のあかしを現したものです。また動きを容易にするため、スカートにプリーツ(折り目)を付けたことは当時として画期的なことでした。セーラー服に合わせて、ベレー風の帽子も制定され、スマートな福女スタイルとして市民の目をひきました。

さらに次の年には、明るい空色ギンガムの半袖、白玉ライン、黒絹のネクタイという夏服が決まりました。

この長い歴史と伝統のセーラー服は、福岡女学院の生徒の誇りとして、ほとんど形をかえることなく今日まで受け継がれています。これが広く知れわたり、多くの公私立女学校が本校の制服をモデルとするようになったと言われています。

セーラー服を着用したリー校長
(前列左から2番目)

現在の制服

メイクィーン・メイポールダンス

中学校・高等学校の伝統行事

メイクィーン・メイポールダンスは5月祭ともいわれ、ヨーロッパ諸国に古くから伝わるお祭りです。1916(大正5)年の創立記念日に、第9代校長エリザベス・リーによって、生徒の心を明るく引き立て、学院の発展を願う行事として始められました。今も学院に連なる人々の心の遺産として、また創立記念日の名物行事として現在まで受け継がれています。創立記念日に集まる卒業生たちは、メイクィーンの行列やメイポールダンスに拍手を送りながら女学院での生活に思いを馳せ、昔の日々を懐かしんでいます。

メイクィーン

初期のクィーンは最上級生、品行方正、学術優秀で、和服黒紋付高座のふとんに座わっていたました。1922(大正11)年にプロミナード(隊列行進)が加えられ、1928(昭和3)年からクィーンの服装も純白のドレスに変わり、クィーンは2年生から選ぶようになりました。戦後新制になってからクィーン行事は中学生、プロミナードは高校生になりました。現在の曰佐おさ(福岡市南区)に移転した後は、場所の都合などでプロミナードはなくなり、行事も中学生だけになりましたが、メイクィーン行事は華やかに引き継がれています。現在のメイクィーンは中学2年生全員の中から生徒の間で選出され、クィーン以外の中学2年生全員がメイポールダンスに参加します。

最初のメイクィーン
現代のメイクィーン

メイポールダンス

メイポールダンスは、高さ3.5mのポールに取り付けられた紅白それぞれ12本ずつの布を、交互に踊りながら編んでいくものです。この行事は、当時の沈滞していた暗い一時期の流れを初夏の太陽の光のような明るい行事で一掃しようと、リー校長の発案で始まりました。この日から、空色のギンガムの夏服に衣替えする福岡女学院の創立記念行事は、博多の街に一足早い初夏の訪れを告げる風物詩の一つとして市民に親しまれています。

最初の頃のメイポールダンス
現在のメイポールダンス

柿薗記念パイプオルガン

日本で唯一、バッハが愛した中部ドイツ・バロック様式

福岡女学院では創立以来、毎朝礼拝をもって一日を始めています。
この礼拝をパイプオルガンで守りたいという長年の願いがかない、2007年に本学院のギール記念講堂に設置しました。これは、創立120周年の記念事業として、故・柿薗ヤヱ院長(1898-1988年)が遺された基金によって、礼拝の充実とキリスト教音楽の教育と文化に寄与することを目的として設置を決めたものです。

導入にあたっては、鈴木雅明氏(バッハ・コレギウム・ジャパン主宰、元東京藝術大学教授、イェール大学教授)、横田宗隆氏(ヨーテボリ大学オルガン研究所)、そしてフランスのオルガンビルダーのマルク・ガルニエ氏によって中部ドイツ、チューリンゲン地方のトローストの歴史的オルガンからインスピレーションを得て、2003年にコンセプトが決定。2007年7月に完成し、鈴木雅明氏によるお披露目演奏会を同年12月1日に満員の1,200名を超える聴衆をお迎えして開くことができました。

このパイプオルガンは8フィートの美しい音色のパイプを多く持っていることが大きな特徴です。J.Sバッハを中心とするプログラムにロマン派メンデルスゾーンなどへの新たな可能性を持った、日本では唯一の中部ドイツ・バロック様式のオルガンです。現在まで鈴木雅明氏をはじめ、ミッシェル・ブヴァール氏(フランス国立パリ高等音楽院、トゥールーズ高等音楽院教授)、廣野嗣雄氏(東京藝術大学名誉教授)、鈴木優人氏、ヨス・ファン・デア・コーイ氏(オランダ、ハーグ王立音楽院教授)など、世界一流のオルガニストによる多彩な演奏で、このオルガンの独自性と優位性が十分に発揮されています。

フランス・ガルニエ社製。ドイツ・バロック(ザクセン・チューリンゲン)様式の2段手鍵盤と足鍵盤(ペダル)、33ストップ(音列)を有する壮大なものです。
学院オルガニストによる演奏
14年目のオーバーホール