創立者 ジェニー・ギールについて

創設者 ジェニー・ギール

創立者ジェニー・ギール

福岡女学院の創設者ジェニー・ギールは、1846年に米国ペンシルベニア州ベルウッドで誕生しました。当初は、公立学校の教師をしていましたが、キリスト教の海外伝道の話に召命を感じ、米国のメソジスト監督教会婦人外国伝道会の宣教師として、1879(明治12)年に来日しました。1885(明治18)年に、福岡に女子のための学校を創立するという大きな仕事に取組み、福岡女学院の前身である「英和女学校」を設立し、初代校長となりました。

校長在職から2年、健康上の理由によりやむなく校長を辞任し帰国しました。
数年後に体調が回復すると、再び来日し、九州で婦人伝道師養成や社会奉仕に従事しました。その間、たびたび福岡を訪れて英和女学校のために尽くしました。1910(明治43)年、健康がすぐれず米国へ帰国、その約1ヶ月後に63歳で永眠しました。

ギールの日本での宣教活動は30年にわたりました。その人生は日本へのキリスト教の伝道と女子教育の普及に捧げられた生涯でした。ギールは亡くなる前に、「わたしの名前は覚えられなくてもよい、すべてはわたしたちの主イエス・キリストの栄光のために覚えられるべきである」という言葉を残したと伝えられています。

建学の精神

1885(明治18)年、福岡女学院は宣教師ジェニー・ギールによって、「英和女学校」として創設されました。当時日本の女性の社会的地位はまだ低く、女子に対する教育が顧みられていなかった時代に、キリスト教の伝道と女子教育の普及を目指して福岡女学院(当時は英和女学校)は誕生しました。

英和女学校は、当時の呉服町(現在の福岡市中央区大名2丁目)にあった福岡美以みい教会の仮会堂を仮校舎として出発しました。創設から2週間程で、本校舎を因幡町(現在の福岡市中央区天神2丁目)に移転し、本格的に授業を開始しました。

開学当初、生徒は30名足らず、年齢も不揃いで、修行年限も定められていませんでした。そのため、当初は寺小屋風の私塾に近いものでしたが、キリスト教の伝道とともに高度な教育を施したことから、その後、指定高等女学校の認可を得るに至りました。

因幡町の校舎 因幡町の校舎
創立当初の教員・生徒 創立当初の教員・生徒

第2次世界大戦中にはキリスト教が迫害を受けるなか、ゆるぎない信念のもと、福岡女学院はキリスト教主義学校であることを守りぬきました。こうして、創立の頃より大切にしてきたキリスト教教育と高度な女子教育という2つの柱を軸に、現在、幼稚園、中学校・高等学校、短大、大学、看護大学を擁する総合学園に発展しました。

福岡女学院は、創立以来一貫して「キリスト教に基づく女子教育」を堅持し、国内外で活躍する約70,000名の卒業生を輩出してきました。創立者ジェニー・ギールによって伝えられたキリスト教の信仰は今も受け継がれ、それぞれの学校では日々の礼拝、宗教行事、授業等を通した人格陶冶を重んじる教育を実践しています。さらに、目指す人間像を「イエス・キリストにつながれて、隣人を愛し、豊かに実を結ぶ人間」と定め、「園児、生徒、学生、保護者や地域社会に選ばれる学院づくり」を目標に掲げ、今後も歩みを続けてまいります。