福岡女学院のあゆみ

1885(明治18)年 アメリカ人宣教師ジェニー・ギールにより「英和女学校」として創立(現・福岡市中央区大名)
創立者 ジェニー・ギール
1888(明治21)年 天神町に福岡唯一の西洋館である新校舎を建築(現・福岡市中央区天神)
西洋建築のものめずらしさに
弁当持って見学に来る人もいたという
1912(大正元)年 「福岡英和女学校」と改称
1916(大正 5)年 創立記念日にメイクィーン、メイポールダンスを始める
最初の頃のメイポールダンス
1917(大正 6)年 「私立福岡女学校」と改称
1919(大正 8)年 「福岡女学校」と改称
薬院新校舎落成・移転(現・福岡市中央区浄水通り)
正門前の道は現在の
福岡市中央区薬院浄水通りである
1921(大正10)年 セーラー服を制服に制定
1921(大正10)年、リー校長愛用の服をもとにしたセーラー服を作ることが決定。
1922(大正11)年4月から、上級生を除き、ほとんどの生徒が着用するようになった。これが全国的に知れわたり、多くの公私立女学校が本校の制服をモデルにするようになった。制服に合わせてベレー風の帽子も制定され、スマートな福女スタイルが市民の目を引いた。
制定時のセーラー服
現在も基本デザインは変わっていない
1937(昭和12)年 へレン・ケラー女史来校
三重苦の聖者として有名なアメリカのヘレン・ケラー女史が5月に来校。非常時下ではあったが女史の来訪は一般にも歓迎され、愛の使節として深い感銘を与えた。
その後、
1948(昭和23)年にも再び来校した
1941(昭和16)年 現在の校章制定
1945(昭和20)年 戦火で校舎焼失
本校は校舎の大部分を軍隊に貸与していたが、6月19日の福岡大空襲で被災。宣教師館、寄宿舎一部、体育館、家政館、旧雨天体操場を残す全部の校舎を失った。
福岡大空襲後、
焼失した校舎の跡地での青空礼拝
1947(昭和22)年 新制中学校設置
1948(昭和23)年 新制高等学校設置
「財団法人福岡女学院」と改称
1951(昭和26)年 学校法人となる
1955(昭和30)年 曰佐新校地(現・福岡市南区)に、幼稚園を開園
開園当初の幼稚園校舎
1960(昭和35)年 曰佐新校地に、中高の新校舎落成、移転
移転直後の中高校舎(航空写真)
1963(昭和38)年 高等学校に音楽科開設
1964(昭和39)年 短期大学(英語科、家政科)を開学
開学当初の短大校舎
1985(昭和60)年 短大 国文科を開設
創立100周年記念行事を挙行
創立100周年記念式典
1989(平成元)年 百周年記念館落成
百周年記念館
1990(平成 2)年 小郡市に、大学(人文学部-日本文化学科、英米文化学科)を開学
生涯学習センター開設
小郡キャンパスの大学校舎
1993(平成 5)年 短大 家政科を生活学科に名称変更
1999(平成11)年 大学(人間関係学部-人間関係学科、人間発達学科)を開設
福岡女学院短期大学を福岡女学院大学短期大学部に名称変更
2001(平成13)年 大学(人文学部-現代文化学科、表現学科)を開設
2002(平成14)年 大学小郡キャンパス閉鎖、曰佐キャンパスへ統合
天神サテライト開設
天神サテライト
2003(平成15)年 大学(大学院-人文科学研究科 比較文化専攻、臨床心理学専攻)を開設
大学(人文学部-英語学科)を開設
2007(平成19)年 大学 人間関係学部人間発達学科を子ども発達学科に名称変更
ギール記念講堂に、柿薗記念パイプオルガンを設置
柿薗記念パイプオルガン
2008(平成20)年 古賀市に、看護大学(看護学部-看護学科)を開学
古賀キャンパスの看護大学校舎
2013(平成25)年 大学(人文学部-言語芸術科、メディア・コミュニケーション学科)開設
2014(平成26)年 大学(国際キャリア学部-国際英語学科、国際キャリア学科)開設
2015(平成27)年 大学(大学院-人文科学研究科 発達教育学専攻)開設
2023(令和5)年 看護大学(大学院-看護学研究科-看護学専攻-修士課程)開設

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福岡女学院資料室は、福岡女学院の歴史に関する資料の収集・整理・保存・調査・研究を行い、学院の教育・研究に資すること並びにその歴史と伝統を後世に継承することを目的とするアーカイブスです。
また、福岡女学院資料展示室では、本学院の生徒・学生たちに学院の歩みを学び理解を深めてもらうために、そして、地域の皆様に広く学院の歴史を知っていただくために、学院の歩みを常設展示致しております。

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