学院聖句

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。

(ヨハネによる福音書15章5節)



年間聖句

福岡女学院は、コリントの信徒への手紙二5章17節を年間聖句と定め、2024年を歩みます。

「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」

この聖句の前半には「キリストと結ばれる人はだれでも」とあります。福岡女学院の学院聖句「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。」とあわせて理解したいと思います。
コリントの信徒への手紙を書いたパウロは、以前はキリスト者を激しく迫害していた人ですが、キリストに出会ってまったく変えられてしまいました。迫害することこそが正しいと信じ、憎しみでいっぱいだった時のパウロには、心穏やかな時間も相手を思いやる気持ちも一切なかったことでしょう。その心がすっかり変えられた経験から自信をもって、このことを語っています。
福岡女学院につらなる一人一人が2024年度をキリストにあって新しくされるという希望をもって歩むことができるよう、祈ります。


院長 守山 惠子

校章

この校章は、1941年第11代徳永ヨシ校長の時代に制定されました。
デザインは、当時本学の図画教師であった田中冬心氏によるものです。

まわりの枠は、「十字架」の形をあらわし、3本の線はキリスト教で重要とされる「信仰・希望・愛」を示しています。その中心に置かれていのは、ぶどうです。このぶどうは、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネによる福音書15章5節)」という学院聖句を具現化したものです。

「この11個のぶどうの粒は、ひと筆で描き続けられます。すなわち1つの線で、どの粒もつながっているのです。学院に在るすべての人は1つの線、すなわち主をかしらとする1つの思いで、堅くつながれていなくてはならない。」(考案者・田中冬心氏談)との思いが込められています。

この校章は、福岡女学院につながるひとりひとりが、イエス・キリストに堅く結びついて、真の生命を得、豊かに実を結ぶという、学院の願いを示しています。