学院聖句
わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。
人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。
わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。
(ヨハネによる福音書15章5節)
年間聖句
「だから、キリストと結ばれる人はだれでも、新しく創造された者なのです。
古いものは過ぎ去り、新しいものが生じた。」
2025年度も、昨年度の年間聖句であったコリント信徒への手紙Ⅱ5章17節を年間聖句として掲げます。
今年、2025年は福岡女学院にとって、創立140年の節目の年です。本学院の140年の歩みには、常に神さまの導きがありました。神さまに対する信頼がありました。そして、祈りがありました。時にはつまずきがあり、時には示されている道に気づかないこともあったはずです。それでも、1885年に神さまの御心に適って歩みを始めた福岡女学院は、日々祈りつつ前に進んできました。
身の回りの、そして世界の悲しいこと、苦しいことから目を背けることはできません。しかし、キリストに出会い、新しくされたパウロの心に湧き上がる喜びをわたしたちもともにしましょう。
福岡女学院に連なるものが支えあい、神さまの導きに従って希望をもって新たな歩を進めることができるようにと祈ります。
院長 守山 惠子
校章

この校章は、1941年第11代徳永ヨシ校長の時代に制定されました。
デザインは、当時本学の図画教師であった田中冬心氏によるものです。
まわりの枠は、「十字架」の形をあらわし、3本の線はキリスト教で重要とされる「信仰・希望・愛」を示しています。その中心に置かれていのは、ぶどうです。このぶどうは、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネによる福音書15章5節)」という学院聖句を具現化したものです。
「この11個のぶどうの粒は、ひと筆で描き続けられます。すなわち1つの線で、どの粒もつながっているのです。学院に在るすべての人は1つの線、すなわち主を首とする1つの思いで、堅くつながれていなくてはならない。」(考案者・田中冬心氏談)との思いが込められています。
この校章は、福岡女学院につながるひとりひとりが、イエス・キリストに堅く結びついて、真の生命を得、豊かに実を結ぶという、学院の願いを示しています。
デザインは、当時本学の図画教師であった田中冬心氏によるものです。
まわりの枠は、「十字架」の形をあらわし、3本の線はキリスト教で重要とされる「信仰・希望・愛」を示しています。その中心に置かれていのは、ぶどうです。このぶどうは、「わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。人がわたしにつながっており、わたしもその人につながっていれば、その人は豊かに実を結ぶ。わたしを離れては、あなたがたは何もできないからである。(ヨハネによる福音書15章5節)」という学院聖句を具現化したものです。
「この11個のぶどうの粒は、ひと筆で描き続けられます。すなわち1つの線で、どの粒もつながっているのです。学院に在るすべての人は1つの線、すなわち主を首とする1つの思いで、堅くつながれていなくてはならない。」(考案者・田中冬心氏談)との思いが込められています。
この校章は、福岡女学院につながるひとりひとりが、イエス・キリストに堅く結びついて、真の生命を得、豊かに実を結ぶという、学院の願いを示しています。