2021.07.19

夏休み号:私がみなさんに求める“努力”とは

「努力は必ず報われる」という言葉をよく聞きます。この“努力”が結果に結び付くという信念は、結果期待と呼ばれます。ところが、なかなか結果が出ないことは多々あります。そうなると、人はこの“努力”に対して様々な思いをもつと思います。例えば、「それでも努力を続けることが必ず結果に結び付く」「努力だけではどうしようもない自分の才能が影響する」「結果とは無関係に努力自体に意味がある」「努力は報われるかは問わずに好きだからしている」・・・
「楽しいから努力する」という言葉は、教育の世界では「内発的動機付け」と言われます。私たちの授業においても、学習課題を直感的に楽しいものにする工夫を入れることはよく行われます。そして、それをきっかけとして自ら楽しめるように仕向けていきます(他律的→自律的)。自ら楽しめるように工夫することができないと、やはりそれは他律的ということになります。しかし、“努力”を持続させていくには、「怒られるから」「友だちに負けたくない」「合格するため」「お小遣いをもらう」など外発的動機付けが影響することがあるのも否定できません。そこで、内発的と外発的をミックスさせたような“努力観”として、「他人のために努力する」ということがあると思います。
例えば、プロ野球選手のゴールデンスピリット賞というのを聞いたことがあります。これは、プロ野球選手が自分の成績に応じて寄付活動をしているというものです(ピッチャーの奪三振の数に応じて子どもにランドセルを寄付する、ホームランの数でワクチンを寄付するなど)。つまり、自分の努力に社会的価値を付与することで、「自分が努力すれば、他者を幸せにできる」という考えで、努力を持続させていく方法と言えます。
この社会貢献は、イコール「ボランティア」と言われています。ボランティアというと「無償の奉仕」というイメージがありますが、実は、「自由意志・自ら進んでやること」という意味です。私は、「他人のために努力する」「自分にできることを自ら探し、進んで努力する」「あたりまえでないことをごく自然に努力する」こういう“努力”をする人がこの学院内に多く存在してほしいと願います。
1学期に教育実習が実施されました。実習生の“努力”する姿を見て、私自身の教育実習をふと思い出しました。私は、小学校(附属福岡小)5週間、中学校(母校)2週間の実習を体験しました。小学校での実習は、そのつらさから途中でいなくなる実習生もいました。私のグループも一人、突然いなくなりました。突然なので、その人の理科の授業を私が引き受けました(私は数学)。その時私は、いつもよりもやる気がわいていたのです。おそらく、ピンチであること、他人のために努力する感覚が、やる気の源になっていたと思います。いつも以上に努力できた自分がいました。
中学校での実習は、相変わらず母校のサッカー部は学校の荒れの原因のような存在で、先生たちに多大なる迷惑をかけていました。ところが、実習生ではあるのですが、サッカー部の先輩の「重枝さん」ということで、日頃、教科書も開かない生徒が、ノートをとっています。だから、他の授業もきちんと受けるようにサッカー部の後輩たちに話しました。たぶん義理と人情の世界と思うのですが、後輩たちは少し変化し、他の先生から感謝されました。
どちらも、他者から良い反応をもらったことが、教員になろうと思ったきっかけかもしれません。
このように他者に関連した要因、つまり、「他者から評価されたり承認されたりすること」「共に努力する仲間の存在」「他者との良好な関係」「他者の役に立っている行為」。これらの“努力観”が、私がみなさんに求める“努力”なのです。