mission2019
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●●●●Society5.0時代、福岡女学院の学びの姿とは   AIは情報の処理や保存に関し寺園て人間の及ばない能力を持っている。それによって私たちは助けられますが、一方で感情やつまづき、挫折、絶望、感謝、芸術などは人間特有なものです。中でも最も大きいのは、死や死の弔いだと言えるでしょう。私たちは死ぬ。死ぬ意味は一体何なのか。生きる意味は何なのか。私たちは生きる価値があるのか…そういった生きる意味や価値の問題、死の問題を考えるのが人間です。2019年の芥川賞受賞作品「ニムロッ―寺園院長は宗教の観点から、AI時代のテクノロジーの進化によって得られるもの、そうではないものについてお話しください。―阿久戸学長、AI時代の教育についてお考えをお聞かせください。AI時代にこそ生かされるキリスト教教育―今日は飛田同窓会長にご参加いただいています。飛田会長は中学・高校の6年間を女学院で学ばれた後、東京の青山学院大学法学部へ進学されました。ご結婚されて4人のお子様を育てられ、さらに会社経営にも携わられたご経験をお持ちです。飛田会長、いまキリスト教教育についてお話がありましたが、あらためて振り返られると、女学院で学ばれたことはどのようなものでしたか。人に流されない毅然とした「自分」長けたAIが得意とするところです。手術もロボットを使うことで、より細かい作業ができるようになりました。しかし、医療は人間を相手にしている仕事です。人間は、死と向き合わなければならない。このような場面は、大いなるものへの畏れを感じることのできる「人」にしかできない仕事になります。実際、皆さんが考える以上に治らない病気は多いものです。そんなとき、医者の技術は無力。その領域を超えた仕事になります。患者さんやご家族ときちんと話をして、心に寄り添い、穏やかな空気の中で逝かせてあげられるよう努める…そうすると不思議なことに、必要だった鎮痛剤が減ったりするんです。心の安らぎと痛みには関連性があるんですね。    一つはAIに支配されず使いこ阿久戸なさなければならないので、グローバル言語として英語教育に力を入れると同時に、AI教育にも力を入れるべきでしょう。しかし、その上でAI教育のできないこと、つまり思いやりや絆など非合理的な人間の感性を育成する教育を、女学院大学はやっていきたい。そう思います。AI時代はキリスト教学校としての出番がますます近づいてきそうですね。AI時代の大学教育は、人間性の本質に触れ、死や罪とも対峙していくことになる―。AIを超える世界があることと関係していきたいと考えています。そしてそれは、いままで女学院が行なってきた教育につながっていることでしょう。ド」の中の主人公は、飛行機の失敗作ばかりを集めています。失敗した飛行機はだめな飛行機なのか。いや、失敗を積み重ねて、成功した飛行機があるのだから「失敗には意味がある」と言いたかったのではないかと思います。人生における失敗、あるいは死ということをどう考えるのか―。AIはそうではありません。人間の生や死の問題のように「私はなぜ壊れるのか。壊れる私に意味はあるのか。壊れるまで働く私に価値はあるのか」などとは問いません。これは理想の実現の追及です。次元の違いなのです。AIについては利用できる次元はありますが、宗教の次元とは違うのだと考えています。十時   これからの世界は、小学校から否が応でもAI社会に入らなければならない。ですから、幼児教育がより重要になってくるのだと思います。AIに触れる前の幼い時代に土に触れ、陽光を浴び、樹木に囲まれた自然に触れる環境で感性を育てる。またそうした恵みへの「感謝」を感じる。これこそが人間だけがもつ能力を育てることになるのではないでしょうか。Society5.0の下では、守るべきものとして「キリスト教教育」と感性を育てる「芸術教育」を柱にすえて、その上にAIを採り入れた教育があるのだと考えます。飛田    在学中は特にキリスト教教育を実感したことはなかったんですね。中学1年生のころなどは、毎朝の礼拝や讃美歌の斉唱を面倒だと思うこともあったりして…(笑)。でも、大学に入って祈りや讃美歌の機会がなくなると「あれ? 何か物足りない」と思ったんですね。その時初めて、そのような機会が自分にとっては1日の中で顔を洗うのと同じように重要だったのだと実感しました。03School Corporation Fukuoka Jo Gakuin

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