資料室ジャーナル 第5号
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1“戦災から立ち上がって15年、‥‥‥筑紫の山々を見はるかす高台に、巨船のような美しい新校舎、都市近郊には珍しい雄大な眺めである。”この言葉は、『福岡女学院七十五年史』における「上曰佐時代」の冒頭にある。本学院の諸氏には周知のように、平尾(南薬院)時代の1952(昭和27)年のこと、福岡市南郊の上曰佐に広大な敷地を得て、新時代を拓くキャンパスをめざして建設された福岡女学院上曰佐キャンパスの完成を記した冒頭の言葉で、このキャンパス建築群はヴォーリズ建築事務所の設計、竹中工務店によって1959年に着工、1960年3月15日に竣工を迎えた。新年度が始まりまもない5月18日に、創立七十五周年記念式と新校舎献堂式が盛大に行なわれており、その記録が七十五年史に詳しく報じられている。また、時の宗教総主事本田正一は「新校舎完成に寄せて」を『湖畔之声』(1960年7月号)に寄稿し、ヴォーリズの設計を称え、新校舎を案内した画家の言葉を紹介している。いわく「大きな窓と、ゆたかな壁面とでかこまれた窓外の景色を眺めながら、“設計者はここで絵を描いています、とてもすばらしい”‥‥‥講堂に入ったとき、これは傑作だ、といって感たん久しくした。(ホールの)明暗の度も音響上曰佐キャンパス校舎群計画時の建築模型記録によると、ヴォーリズ建築事務所の設計は1957年6月に着手され、1958年5月に設計案が決定、1959年に工事着工、1960年3月15日に竣工したの具合も、そして全体の調和も、何ともいえないという。何よりも落ち着きがある。それでいて少しも重圧感がないといって褒めてくださった。」ヴォーリズの建築は、ウィリアム・メレル・ヴォーリズのキリスト教活動とともに推進されたもので、日本の近代建築においても特色を有するものとして様々な価値が認められている。しかしながら世情で知られる多くの建物は、1920~30年代つまり大正昭和初期の建築であり、歴史様式を用いるものが多い。加えて戦後期の建築としては三鷹の国際基督教大学などあるものの、知られている建築は多くない感がある。そうした折の昨年夏に本学院キャンパス見学の機会を頂いた。先に拝聴していたとおり、近年は125周年記念館はじめ大学施設の新しい学舎建設が進められていたが、中学・高校のゾーンには当初のヴォーリズ建築が健在であった。本学院におけるヴォーリズ建築のさきがけは1917(大正6)年に始まる私立福岡女学校時代の薬院キャンパスの建築にある。その時代はヴォーリズ合名会社の設計で、寄宿舎に始まり、教員住宅、本館、体校地南東より、竣工間近の校舎群関西学院大学客員教授・大阪芸術大学名誉教授山形 政昭はじまりのヴォーリズ建築1960年の上曰佐キャンパス1960年の上曰佐キャンパス

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