1自然豊かな保育環境のなかでの「自由な遊び」とキリスト教 ― 福岡女学院幼稚園の理念と保育の方針 ―学院資料室 講師 井上 美香子手に中学・高校の校舎、左手に大学のキャンパスが広がる。これらの校舎を眺めながらキャンパスの奥へと進んでいくと、豊かな緑に囲まれた福岡女学院幼稚園にたどり着く。 1955(昭和30)年に福岡女学院幼稚園を開設した初代園長の徳永ヨシは、「幼い子供の時代に神様の愛をしっかりと教え込むことが大切である」(徳永徹他 1995, p. 30)という考えのもと、曰佐の校地に最初に幼稚園を設立した。通常、大学や短期大学等の下に幼稚園を設置する場合、その名称に「附属」という文字を冠する場合が多い。しかし、宗教教育上そして人間の成長の過程でも幼児期の教育を重視した徳永ヨシの考えにより、福岡女学院幼稚園には「附属」という文字が付されていない。そのことを徳永ヨシは、「幼稚園は女学院の附属ではない、そのものずばりです」(徳永徹他 1995, p. 28)と述べている。 開園当時、教員は院長兼園長の徳永ヨシ他3名、園児は30名であった。幼稚園では、キリスト教の教えを基盤に、子どもの個性を重んじ、自由な遊びを通して子ども同士のかかわりを育て能力の育成を計る保育がなされた(徳永徹他 1995, p. 16)。この「自由な遊び」に必要なのが自然豊かな環境であり、福岡女学院幼稚園では開園以来、豊かな自然のなかでのびのびとした保育を行うことを大切にしてきた。1.福岡女学院幼稚園の歴史 福岡女学院の曰佐キャンパスの正門を入ると、右陵地にポツンと幼稚園が建っているだけであったという。建物もなく整地もされていない4万坪という自然豊かな校地が子どもたちの遊び場であった。園庭には山ももの木と楢の木が自生していたが、地域の人々からあじさい・山吹・カンナ・ホタル草が、幼稚園の保護者から藤の木・椿・ナの実の木が、園長である徳永ヨシからサザンカの木が、それぞれの自宅の庭から移植され賑やかな園庭が造られていった〔写真1参照〕。 1988年に学院の将来計画により、福岡女学院幼稚園は校地の正門横から現在の南門西側へ移転し、藤の木・どんぐりの木・貝塚の木・梅の木がともに移植された〔写真2参照〕。新しい園庭は自然の広場(通称:どんぐり山)に隣接しており、子どもたちを取り巻く自然環境はより充実した。 現在は、れもん、きんかん、ブルーベリー、ぶどう、さくら、ミモザ、柿、すももなど、さらに多くの植物が植えられ、より四季の移り変わりを感じることが出来る自然の恵みにあふれた園庭となっている〔図参照〕。2.自然豊かな園庭の成り立ち 開園当時、曰佐の校地は見渡す限り草野原で、丘自然豊かな保育環境のなかでの「自由な遊び」とキリスト教― 福岡女学院幼稚園の理念と保育の方針 ―
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