資料室ジャーナル 第2号
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注:南部地区は、長崎、熊本、鹿児島、琉球諸島、フォルモサで構成される8(表1)日本への宣教師の旅配属地3.ギールの監督者としての任務 ギールの日本での宣教活動は30年に渡った。最初は、活水女子校と英和女学校の両学校にてギール4.育成された女性聖書普及員の実りある働き The Minutes of the Thirteenth Session of the Woman’s Annual Conference of the MEC in Japanで、ギールは彼女たちの働きについて、「女性聖書普及員が任自ら女性聖書普及員の訓練に携わった。毎年、両学校の卒業生から女性聖書普及員が誕生し、彼女たちによって日本中に福音の種が蒔かれていった。伝道活動は至る所で開かれ、順調に発展していった。需要に間に合わず、より多くの女性聖書普及員が必要とされた6。卒業後、彼女たちは、教会の牧師が女性に対して牧会する際の支援のため、ギールによってさまざまな場所に連れて行かれた。女性聖書普及員として働く卒業生の数が増えるにつれて、表1からもわかるようにギールの宣教は琉球諸島まで及び、九州全土へと拡大していった7。されている働きとは、自分たちの土地の女性のためです。仕事は福音を教えることであるべきです。(中略)彼女たちはその役割をよく担っています。信者と未信者の家を訪問し、女性のクラス、集会や日曜学校を組織し続けています。時には病人を訪ねて世話をします。聖書クラスのリーダーであり、日曜学校の監督であり、世話役であり、牧師の相談役やカウンセラーの役も担います。可能な限りのあらゆる方法で、彼女たちは世界の救い主としての主イエスを掲げて働いているのです。派遣されている地域は、九州の北から琉球諸島に広がる約15,000平方マイルの地域にわたり、また更にフォルモサ(台湾)にも目を向けています」8と記してい出発1879.10.3長崎福岡長崎福岡1890.121896.4.28 鹿児島1909.4.23鹿児島任務1887.6~1890.12女性聖書普及員の育成学校設立女性聖書普及員の育成女性聖書普及員の育成女性聖書普及員の育成南部地区全体の宣教活動女性聖書普及員の育成南部地区全体の宣教活動1894.6~1896.41907.7~1909.41910.5帰国る。 1893年にギールが女性聖書普及員の福岡部門で報告した内容によると、「(1年で雇用した)女性の普及員(11名)、普及員による家庭訪問(4664回)、キリスト教に関する講演(3108回)、聖書の研究と読書(1958回)、毎週の女性会議(11回)、日曜学校(18学校)、日曜学校への平均出席(398名)、新しい教会員(44名)」9とあり、彼女の使命の深さを伺い知ることができる。さらに翌年には、30人が長崎での女性聖書普及員の大会に出席した。 このように、それまで九州には存在していなかった女性聖書普及員を育てたギールであったが、まだ改善すべき点があると考えていた10。ギールの心には常に、福音をまだ聞いていない、とり残されている魂を救いたいとの考えがあった。1896年にギールは「この女性たちを送り出すことを検討している間、ずっと拭い去れない問いが頭をよぎっていました。その問いとは次のようなものでした。これまで女性聖書普及員は教会で働くために派遣されていましたが、それよりも2人もしくは2人組を牧師がいない町や村に派遣し、福音を聞いたことのない方々に福音を伝える働きに従事させた方がいいのではないかということです」11と述べている。 その数年後1898年の鹿児島での記録には、「彼女のもとには12人の訓練を受けた女性聖書普及員と、他に訓練を受けている者がいます。訓練は19の支部で定期的に行われています。日曜学校は20校、指定された場所で定期的に開催される女性会議は20校、2日間の学校があります。女性たちの自宅に連絡する以外に、5400回の家庭訪問をしています。女性聖書普及員の大会開催は大成功を収め、神に従う生活や働き方に役立ちました。女性聖書普及員の育成と訓練学校の設立のために切実な要請が送られました。この投資は福音伝道のための教会に大いに役立つでしょう」12と記されている。 最後に、1905年から1906年はギールの功績の頂点であったといえる。南部地区の年次報告から「この広域な土地にたった18名の女性聖書普及員しか「収穫のための働き人を送ってください」

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