資料室ジャーナル 第2号
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74年間の聖書訓練コースを卒業した女性聖書普及員たち(活水学院所蔵)(左から、柴田ハル、大島サキ、井上マサ、川久保トク、岡島ハツネ)2.女性聖書普及員は改宗者だった 女性聖書普及員たちはキリスト教に改宗した者ブル・ウーマン(以下、女性聖書普及員と記載)と呼んだ。19世紀、男性と女性の役割が分離されており、女性によって他の女性や子供たちに福音を伝えるのが一番いいと考えられていた。ギールは、「女性が真の神について教えを受ける時、他の女性から教えられるべきだ」と述べている1。他の宣教地にあっても女性聖書普及員の話はあるが、ギールが記したものほど詳細な記録は存在しない2。年次会議報告書のアーカイブを紐解くと、ギール自身の言葉によって女性聖書普及員とその功績が記されていることを確認できる。 本稿の目的は、ギールによる女性聖書普及員の活動をとおして、女性聖書普及員の活動内容、ミッション、ギールの役割と共に働くことによって主イエス・キリストのために何を成し遂げたかについて検討することである。であり、キリストの大いなる救いを他の人に伝えることを自らの人生の仕事とした。女性聖書普及員を魂の大収穫のための働き人として育てるため、ギールは活水女学校(現在の活水学院)と英和女学校(現在の福岡女学院)の両校の聖書部の設立を担当した。ギールは女性聖書普及員の使命を「暗闇の中にいる九州の500万から600万の人々の中にも、イエスを受け入れた人々はおり、その者たちは他の人々にその大いなる救いに関して伝道しています。彼らの数は少なく、しばしば同情されたり、軽蔑されたり、周囲の人々から憎まれたりさえしますが、信仰を失わず、自分たちの命をも顧みずにいます。しかし、その者たちをよく見てみるとすべて男性でしょうか。いいえ、その中に、生と死のはざまで戦う献身的な女性の精鋭隊がいます。彼女たちはシンプルに、粛々と、忠実に、仕事をしており、彼女たちからは勝利の叫びや周りの大勢の人々からの承認の叫びが聞かれることもありませんが、それでも、一人一人の魂が救い主に導かれていくのを見て思い浮かぶのは『(一人の罪人が罪を悔いて神のもとに帰ったとき)天使たちはたいへんな喜びにわくのです』という言葉です」3と説明している。 1884年11月17日、ギールは、Heathen Woman’s Friend誌の「長崎で最初の女性聖書普及員」というタイトルの記事で最初の女性聖書普及員であったオサキさん4について、「約2年前、多くの女生徒が回心したとき、オサキさんは最初の回心者の1人でした。その時、彼女が私たちに自分の経験を話してくれたこと決して忘れません。その週、宗教に関して女生徒の間でいつにも増して関心が高まっていました。彼女らは祈祷会を開き、救いの道に関して質問していました。日曜日の午後、オサキさんと女生徒の一人が顔に平安と喜びをたたえながら日曜日のクラスに参加しました。彼女が話すように頼まれたとき、顔を輝かせて立ち上がりました。そして、簡潔に子供のよう(な率直さ)で、自分自身が罪人だと感じたこと、また主に赦していただけるように頼んだことに対して、主が彼女を赦してくださったことに関して話しました。彼女は興奮はしてはいませんでしたが、私は彼女のように子供のような主への信頼をいまだかつて見たことはないと思います。その時から彼女は忠実なクリスチャンになり、神様の御言葉を注意深く研究し、機会があれば他の人に教えようと努めてきました。(中略)9月以来、彼女は女性聖書普及員として雇われ、午前中に(聖書の)勉強をし、午後に訪問をします。(中略)今や彼女は私の「右腕」となる助手です」と述べている5。1888年6月、オサキさんを含む5人の女性たちが最初の女性聖書普及員クラスの卒業生となった。「収穫のための働き人を送ってください」

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