資料室ジャーナル 第2号
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3〈参考文献〉1、斎藤元子『女性宣教師の日本探訪記:明治期における米国メソジスト教会の海外伝道』、新教出版社、2009年。2、斎藤元子「明治初期におけるアメリカ人女性宣教師の日本報告」『歴史地理学』、第44巻第3号(第209号)、2002年、22-38 頁。3、斎藤元子「19世紀後半アメリカにおける女性の領域と女性海外伝道運動」『お茶の水地理』、第40号、1999年、33-38頁。4、小桧山ルイ『アメリカ婦人宣教師:来日の背景とその影響』、東京大学出版社、1992年。5、エリザベス・ラッセル著・米倉邦彦訳『活水学院の創立者エリザベス・ラッセル女史の生涯』、活水学院、1998年。晩年のラッセル(左)とギール(右)と意思よりも神の御心を最優先し、婦人外国伝道会の要請に従い、祈りを通して、心配、不安、動揺などすべてを主に委ね、心の安らぎを得て、来日した。もう一つのエピソードは、1881年来日3年目の活水女学校(現在の活水学院)でのクリスマス時の出来事である。ギール宣教師は英和女学校(現在の福岡女学院)を創立する前、活水女学校で音楽と神学の教育に尽力していた。ギール宣教師の親友であり同労者であるラッセル宣教師(活水学院創立者)は、クリスマスをお祝いするため、日本の生徒たちに英語で歌を歌わせることを提案した。この提案に対し、ギール宣教師は反対した。なぜなら、ギール宣教師は、クリスマスにはとても重要な意味があると認識していたからである。聖書には「神は、その独り子をお与えになったほど、世を愛された」とあるように、イエスの誕生は神が人間にお与えくださった最高の贈り物である。それと同時に、この神の最大・最上の贈り物に対して、聖書の中に書かれている東方の三博士は、神に感謝する心を長い旅の苦労と共に見える形で高価な黄金・乳香・没薬をイエスに献げた。ギール宣教師はいつもこの東方の三博士を見習い、クリスマスの時、自分のできる範囲で、最高の感謝を神に献げようという願いをもっていたのである。これまで生徒たちに英語の発音を教えてきたギール宣教師は、彼らが綺麗に英語を発音できないため、英語での合唱がうまくいくはずはなく、大切なクリスマスのお祝いも台無しになるかもしれないと思ったのである。しかし、ギール宣教師はラッセル宣教師が一生懸命に生徒たちに英語の歌詞を教えたり、日本人にとって難しいLとRの発音を一緒に練習したりする姿を見て、活水女学校で音楽を担当している者として合唱の準備に協力した。結局、クリスマスの当日、生徒たちはLとRの発音だけでなく、英語の歌詞の意味を理解していないまま合唱し、クリスマスのお祝いどころではなくなってしまった。このことについて、ギール宣教師は合唱失敗の責任をラッセル宣教師や生徒たちに押し付けることはなかった。むしろ、音楽を担当している者として、そのすべての責任を一人で背負っていたのである。神にクリスマスの最高の感謝のプレゼントを贈ることができなかったことは、敬虔なキリスト教信仰を持つギール宣教師にとって、きっと一番悔しかった出来事の一つに違いないと考えられるであろう。J.M.ギール宣教師の逸話

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