資料室ジャーナル
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この度福岡女学院資料室からジャーナルが発行される運びとなりましたことを大変嬉しく思います。ご尽力いただいた方々に感謝いたします。 福岡女学院は今年で創立135周年を迎えます。創立当時、福岡は未だ市制を敷いておらず、天神町の辺りには狸が徘徊していたそうです。その頃すでに近代的な学校が、それも女子教育に特化した形で行われたということは注目すべきことだと思います。しかも青い目をした白人女性の米国人宣教師が英語で教え、また音楽の授業は九州に当時一つしかないピアノを使ってなされたということですから、世間の注目を浴びたことは容易に想像できます。 このように、福岡女学院の歴史は近代日本の教育史において重要な位置を占めるということが出来ましょう。同時にまた、わたしたちは福岡女学院の歴史から現在の在り方や将来に向かう方向を考える上で、多くのことを学び、また多くの示唆を得ることができます。 わたしは創立130周年の記念式典において、こう述べました。すなわち、「今年の130年は来たる創立150年に向かって歩む、最初の一歩だということです。何をするのかと問われるなら、先ず、福岡女学院150年史を出版しようと提案したいと思います」と。その提案が学院資料室を中心にして実現へ向かって進んでいることを大変喜んでおります。これまでは『五〇年史』がありましたが、これは300頁足らずのものであり、さらに1000頁位の『百年史』があります が、それらを踏まえて充実した編集を目指したいものです。 『百年史』の刊行以降の福岡女学院の大きな変化として、大学の開学、短期大学の改組、看護大学の開設などをあげることができます。『百年史』以降の50年間の福岡女学院の歴史をしっかりと書き記すことは、150年史の重要なねらいの1つでもあります。 また、これまでの年史で積み残されてきた課題の1つに福岡女学院創設初期の資料の掘り起しがあります。福岡女学院では、戦争によって古い資料が焼失したことは事実です。しかし宣教師たちの文書や書簡が米国の宣教団本部には保管されているはずです。明治・大正・昭和から現在に至るまでの福岡女学院の歴史とその意義はもっと豊かに記述されるべきではないかと思います。 創立者で初代校長のジェニー・ギール先生は亡くなる前に、「わたしの名前は覚えられなくてもよい、すべてはわたしたちの主イエス・キリストの栄光のために覚えられるべきである」と言われたと伝えられています。また、多くの人々の祈りによって福岡女学院が支えられてきたのも事実です。このような、祈りの精神をもって福岡女学院の歴史を担ってこられた人たちを掘り起こし、現在に語らせるということも、学院資料室の課題となるでしょう。 このような学院資料室への期待をもって本ジャーナルの創刊の辞といたします。院長 寺園 喜基 創刊の辞 1 福岡女学院資料室ジャーナル 創刊号 (2020年) 創刊の辞

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